米国の思想家、環境活動家として知られるレスター・ブラウン氏が、米国アリゾナ州の砂漠地帯に風力、太陽光発電設備を設置の上需要地に送電を行い、電力需要が落ち込む時には余った電気を使い水を電気分解(電解)し水素に転換、貯蔵すれば良いとの考えを述べていたことがあった。残念ながら、このアイデアの実現は現時点ではコスト面から難しい。日照時間も長く、風量もあり再生可能エネルギーの発電コストが低くなったとしても、余剰電力による稼働では電解設備の利用率が低くなる。つまり、いつも発電できない再生可能エネルギー利用では高額な電解設備の単位当たりの減価償却費が高くなるため製造した水素のコストも高くなってしまう。

 水素をロケット用燃料に初めて使用した米国政府も、徐々に水素に関心を失い最近ではエネルギー省も水素技術関連予算の減額を続けていた。だが、バイデン次期米大統領は、今後4年間で2兆ドルをインフラ、エネルギー分野など気候変動対策に投じるとしている。燃やすと電気を作るが二酸化炭素(CO2)を排出しない水素はその中で重要な位置づけを得ており、製造コスト削減策には高価な電解設備価格の引き下げも含まれている。電解設備の投資額が大きく引き下げられることになれば、レスター・ブラウンのアイデアも実現するだろう。

 いま、日本、欧州、中国など世界の主要国は、2050年温室効果ガス純排出量ゼロ実現には水素利用がカギになると考え、利用拡大を図ると同時にコスト引き下げに乗り出した。

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温暖化対策の主役に躍り出た水素

 水素は利用しても水しか排出しないクリーンなエネルギーだが、つい数年前まで、水素をエネルギーとして注目していた消費国は、東アジアの日本、中国、韓国が主体で、供給国としては大規模な褐炭を抱える豪州が中心だった。褐炭は低発熱量で水分が多く輸送コストが高くなることに加え、自然発火する可能性が高いから、そのままでは輸出できない。石炭は水分が高いほど発火し易い。かつて日本企業が豪州から褐炭のサンプルを大量に輸入したところ輸送途上に自然発火したこともあった。褐炭をガス化し現地で水素の形に変え、液化により体積を縮小すれば、輸送可能になり輸出品目に変えることが可能だ。

 いま、水素を取り巻く事情は変わった。日本を含め多くの国が宣言した2050年温室効果ガス純排出量ゼロを達成するためには、水素の活用がカギになると主要国が考え始めたからだ。世界のCO2排出量を見ると、電力部門が40%以上を占めている。電力部門は低炭素電源の導入でCO2排出量をほぼゼロにすることが可能だろう。

 排出量の約25%を占める輸送部門も電気自動車の導入により乗用車の排出量をゼロにすることはできるかもしれないが、電池の重量を考えるとトラック、ディーゼル列車、船舶、航空機の電動化は難しい。また約20%を占める産業部門では、高炉利用の製鉄のように原料、還元剤として石炭を利用し製造工程でCO2を排出する場合には電化を行うことは困難だ。

 結局、電化を多くの部門で進めることによりCO2をある程度削減することは可能だが、ゼロを達成することは電化だけでは不可能だ。電化できない分野での対策として水素が欧米諸国でにわかに注目を浴びることになった。特に、欧州主要国は水素利用に前のめりと言ってよい状態にある。もちろん、水素を利用するには貯蔵、輸送を含め設備の大きな変更が必要になることは、たとえば、自動車では燃料電池が内燃機関に代え必要になることを見れば分かる。設備をどのように更新、新設するかも大きな課題だが、競争力のある水素をどのように製造するかは、CO2排出量に加えエネルギーコストにも影響を与え、産業、私たちの生活にも大きな影響が及ぶ問題だ。

色とりどりの水素の作り方

 水素製造には様々な方法がある。豪州の褐炭から製造する方法にみられるように、石炭、褐炭、天然ガスなどの化石燃料から製造するのが、現在は主流だ。水素は化学プラントなどで使用され、世界では年間7000万トンが製造されている。国際エネルギー機関によると、その4分の3は天然ガスから製造され、世界の天然ガス消費量の6%を占めている。さらに、中国を主体に石炭からの製造も多く、世界の石炭消費量の2%を占める。いま水素の90%以上は化石燃料から製造され、製造に伴うCO2の排出量は8億3000万トン。日本に次ぎ世界第6位の排出国ドイツの排出量を上回っている。

 天然ガスから製造する水素をグレー水素、石炭から製造する水素をブラック水素、褐炭からの水素をブラウン水素と呼ぶことがある。色で水素の原料を推測可能だが、化石燃料から水素を製造するのではCO2の排出量を抑えることは難しい。たとえば、天然ガスから1kgの水素を製造するのに伴い10kgのCO2が排出される。石炭を利用し製造する際には、その2倍近いCO2が排出される。

 天然ガスからの水素を利用し、水素1kgで125km走行可能な燃料電池車(FCV)を走らせると、走行時にはCO2の排出はないものの、水素製造時の排出量を考慮すると1km当たり80gのCO2が排出されることとなる。結果としてハイブリッド車を少し下回る排出量となってしまい、温暖化対策には大きくは寄与しない。そのため、主要国はCO2排出を伴わない水素製造方式に力を入れ始めた。その一つは化石燃料から製造するが、排出されるCO2を捕捉、貯留するCCSと呼ばれる設備を設置することだ。この水素はブルー水素と呼ばれる。

 米国、欧州連合などが力をいれているのが、CO2を排出しない電源を利用し水素を水の電解から製造する方式だ。再生可能エネルギーを利用し製造すればグリーン水素と呼ばれ、原子力を利用し製造すればパープル水素(パープルはバイオマスから製造する水素を指すこともある)と呼ばれる。水素製造への原子力の利用には、欧州では支持するフランス、フィンランド、オランダなどと反対するオーストリア、デンマークなどで意見が分かれている。

水素の製造コスト

 水素のコストを考える際には、製造に加え輸送、貯蔵などのコストも考える必要があるが、ここでは製造コストが水素製造方法によりどのように変わるのか、さらに将来水素がエネルギーで大きな位置を占めることが可能なコスト競争力を持つことになるのか考えてみたい。

 日本の水素ステーションで販売されている水素の価格は1kg当たり1100円(税込み)だ。FCVの走行を1kg当たり125kmとすると、1km当たりの燃料費は8.8円となる。ガソリン価格を1L当たり130円とすれば、燃費15km/Lの内燃機関自動車1km当たりの燃料費は8.7円になる。ガソリン価格にもよるが、燃費の良いハイブリッド車との比較ではFCVの燃料費は高くなりそうだ。FCVの価格が高いこともあり経済性の視点からは水素価格の下落が必要になる。

 いま、化石燃料から製造される水素のコストは、地域により化石燃料価格が異なるので幅がある。国際エネルギー機関によると2018年の時点で天然ガスからの製造コストは1kg当たり0.9から3.2ドル、石炭利用は1.2から2.2ドルだが、グリーン水素のコストは3.0から7.5ドルと相対的に高い。

 トヨタ自動車などの国際的企業が参加する水素協議会の今年1月のレポートでは、欧州の洋上風力を利用したグリーン水素の2020年価格6ドル/kgは設備投資額、発電コストを大きく引き下げることにより2030年に2.6ドルに下落すると予測している。化石燃料から製造する水素とほぼ同じレベルになる。ただ、水素1kgの電解による製造には55kWhの電力が必要とされることから、1kWh当たりの電力価格は2から3セントの前提になっていると思われる。

日本の挑戦と課題

 川崎重工業、J-Powerなどの日本企業は、日豪政府の協力のもと、褐炭から水素を製造し、排出されるCO2を貯留、回収するプロジェクトを進めている。このブルー水素は、液化、あるいはアンモニアなどにされ、日本に輸出される計画だ。経産省によると2022年の目標コストは1kg当たり約1.3ドルとされており、実現されれば十分に競争力があるレベルだ(図)。

 豪州政府は、日本、韓国、シンガポール、それぞれとの協力体制に加え、今年9月にはドイツとも水素供給に関し共同で企業化調査を行う覚書を締結しており、世界の水素供給基地を目指すとしている。豪州は、政治的にも安定しており信頼できるパートナーであることは間違いないが、水素利用が拡大する場合には、日本も供給源の多様化が必要になる。

 最もあり得る供給源は、日本国内において電解により水素を製造することだ。日本政府の数量目標は、2030年30万トンだったが、昨年末最大300万トンに引き上げられた。内42万トン以上をグリーン水素(経産省の定義では再エネと化石燃料+CCSにより製造)とすることを目指すとある。仮に年間100万トンの水素を国内で電解により製造するとした場合の電力消費量は、現状の技術前提では550億kWhになる。安定電源800万kW相当の量だ。現在の太陽光設備の発電量をほぼ全て利用する必要がある消費量だが、再エネは天候次第の変動電源なので電解設備の稼働率が低くなり、製造コストは高くなる。低炭素の安定電源と組み合わせなければ、CO2排出量ゼロの水素を競争力のある価格で製造することはできない。

 水素社会に移行するとなれば、再エネに加え安定的な低炭素電力供給力が大きな規模で必要になる。CCS付属の火力発電所ができているとしても、主力電源としては原子力が必要になるだろう。将来を見据えた電源構成を今から考えなければ水素社会実現は難しい。