石井菜穂子・東京大学未来ビジョン研究センター教授、グローバル・コモンズ・センターダイレクター
地球環境問題の解決に向け社会を動かすことを目的に、東京大学は新たな組織「グローバル・コモンズ・センター」を設立した。初代のダイレクターに就いた石井菜穂子・東京大学教授は「ここ10年が人類の生存の分岐点。企業や個人の行動を変えねばならない」と話す。石井さんは7月まで途上国の地球環境問題への対応を資金援助する地球環境ファシリティ(GEF)の最高経営責任者(CEO)を務めてきた。
――センターは研究機関なのですか。
「私のアタマの中では研究機関ではない。これは五神真・東大学長の考えでもあるが、大学はアカデミズムに閉じこもっていてはだめで、社会を駆動しなければならない。企業や政策担当者、消費者、投資家らを巻き込んで社会を動かしていく仕組みを大学をベースにつくりたい。大学は中長期的に物事を考えることができ社会からの信頼もある。多様なアクターを巻き込むには適している」
「パリ協定も、持続的な開発目標(SDGs)も現状では(目標実現への)軌道をはずれている。このままでは目標達成は難しく、これまで通りのことをやっていてはだめだ。必要なのは行動変容だ。地球環境は自分とは関係がないと思っていた消費者や投資家が自分の問題であることに気づきアクションをとる。そうした変化を促す仕組みが必要だ」
「マーケティングの世界では初期の購買層を動かすことが(新商品の普及に)重要だとされる。それに似て、ある規模の人々が動けば社会全体が追随して変わる。社会全体に行動変容を起こさせるツールとなるようなインデックス(指標)やモデルを、センターは各国の研究機関とともに開発していく」
――インデックスやモデルとは。
「気候変動や森林破壊、水や土壌、海洋の保全のために必要な目標を守るうえで、世界の国々がどう行動しなければならないのかを示す共通のインデックスをつくり、各国の努力状況を比較できるようにしたい。インデックスの公表を通じ、行動への意思と目標達成への野心を持った企業に資金が集まる仕組みにできたらいい」
「また消費行動を通じて、やる気のある企業にメッセージを送れるようにしたい。例えばファッション産業は商品価値を守るため在庫品を燃やすといった行為からサーキュラーエコノミー(循環型経済)を指向する運動のターゲットとされてきた。しかし最近はTシャツなどのファストファッション業界でも高級なハイエンドファッションの世界でもサステナビリティーに関心が集まっている。消費者に響けば企業の行動は変わる」
「インデックス作りはジェフリー・サックス米コロンビア大学教授がディレクターを務める持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)などとともに取り組む」
「国連の持続可能な開発目標(SDGs)をプラネタリー・バウンダリー(地球環境の限界)の中で実現させるためにはどういう道があるか、モデルを開発し道筋を示したい。これは独ポツダム気候影響研究所のヨハン・ロックストローム所長らとともに進める」
――新型コロナウイルス感染症のパンデミックから社会経済を回復させる道筋に関し、環境重視の道を選択する「グリーンリカバリー」の議論が欧米では活発ですが、日本では政治課題として浮上しない。
「コロナ禍の根本的な原因は、人間社会と地球環境の衝突にあるという認識が海外では強い。これまで自然の生態系が保たれた場所に人間の生活領域が広がり、経済システムが地球の限界を超えてしまった証左だと考えられている。その点で気候変動とコロナ禍の根っこは一緒だ。根本的な解決はワクチンではなく、自然と人間の関係を見直し、本来あるべきすみ分けを取り戻すことだ」
「日本ではそうした根本に立ち戻った議論が少ない。何をどうリカバリーするのか。大元を考えないと、『オールドノーマル』にただ戻るだけだ。在宅勤務が普及するなどの変化は望ましい動きではあるかもしれないが、それが『ニューノーマル』が目指すべき姿とは思えない」
「グリーンリカバリーを目指さないと、私たちは生き延びられないという認識は世界のリーダーの間で共有されている。脱炭素で言えば、2050年はどんな世界になるのか。この10年が将来を決める分岐点であり、これから5年間で(温暖化対策を徹底し温暖化を回避する)道筋をつけなければいけない。そうした切迫した気持ちが世界にはある。日本ではそれが感じられない」
「低炭素という言葉には我慢を強いるイメージがありよくないとの意見も聞く。低炭素ではなく炭素をリサイクルさせる。それが人類にもよいし商機にもなるし生活にもよいと、グリーンリカバリーのありうべき姿を描くのも私たちの仕事だ。Needed(必要とされる)からPossible(可能である)、Desirable(望ましい)まで3拍子を示すことが行動変容につながる」
■取材を終えて
石井さんは7月まで米ワシントンDCを中心に、GEFのCEOとして世界中を飛び回って持続可能性の大切さを訴えかけてきた。活動の中で感じたのは「日本の声が聞こえてこない」ことだ。日本にも活発に国際舞台で発言する人はいるが、ごくわずかで、地球環境問題を議論し行動する「主要なプレーヤーとして認識されていない」
米国はパリ協定から脱退を表明するなど気候変動対策に後ろ向きの姿勢が目立つが、「トランプ大統領が米国だと思ってはいけない」とも。大統領は米国の一部を代表する声だが、非常に多様な意見があり、世界の現状を見て企業や都市はいま何をすべきか考えているリーダーがたくさんいるという。
12月に予定される東大主催の国際会議「東京フォーラム」をセンターのお披露目とする予定だ。